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 あの頃、イラクのファルージャという所で、毎日空爆が行われている様子がテレビに映っていた。そこがどんな所なのか僕は知らない。山口県の光市だって僕はよく知らないのだ。ただあの飛行機の真下には沢山の人がいて、画面で爆弾が落ちるたびに体が引きちぎれたり、瓦礫の下敷きになったり、次はこちらの番だろうかと怯えたりしているだろうと思うだけだ。画面を無音で飛行機が横切り無音で爆弾を落とし、白煙と炎が上がり、飛び去って行く。それは余りに迫力の無い場面の連続で僕のようなハリウッド映画や黒沢の映画に慣らされている者にとっては、現実感が極めて薄い。テレビのニュースが本当の事を伝えているという約束事の中に生きているので、それが事実であろう事を頭の中で了解する。阿鼻叫喚の中駆けずり回り自分の親兄弟や妻子供たちが泣き叫びあるいは死に至り、持っている銃は飛行機には無力で、ただただ途方に暮れる。そんな男達をを想像するのだ。
 部屋から一歩出れば平穏な町並みがいつもと変わらず僕を迎えてくれる。コンビニやいろいろな店が平和な日本の日常を僕に提供してくれる。あの事は本当なのだろうか?どうしてあの人たちは戦っているのだろうか?大きな何故が僕を圧倒する。
   

2006年2月4日  古い話、もう堅くなってしまった憤り、冷めたスープ・・・を取り出してみる。


 

アッジ

04/4/16 2057    

 

 

ただいま。

 

あなた、お帰んなさい。アラッ!!!!

何て、ヒドイ怪我。あなた一体どうしたって言うの?血だらけじゃないの・・・。ダ、大丈夫なの?痛イ?お医者さん呼ばなきゃ。・・・待って頂戴。

 

ダイジョーブだよ。こんなモンかすり傷さ!それより新しいシャツ汚してゴメンょ。

 

何言ってるのこんな時に。でもひどく痛くは無いようね。今すぐ傷の手当てをするから。着ている物を脱いで。お湯を沸かしてくるわね。一体何があったの?

 

この前、通りで以前電話公社の時に同僚だったアッジと会ったんだ。奴も僕と同じで例の電話局を壊された空爆以来職に就けて無くって、日雇い仕事で食いつないでいたのさ。ご多分に漏れずネ。僕らは久し振りだったからアレやコレや話をした。2〜3時間も話したろうか。奴は職を失う切っ掛けになったアメリカ軍を恨んでいた。そりゃーそうだろう。この前まで人様の頭の上に爆弾落として街を壊してた連中が、今や我が物顔で通りを歩いてるんだ。面白くは無いわナァ。僕は、シェーラザード、お前も知っての通り“物事は成る様にしか成らない。全ては神の為さるがまま。”って調子だから、アッジの熱い気持ちは解ってやれても“でもそんな事言ってもナァ。・・・しょーが無いよ!”と心の中でつぶやいたもんさ。でも結局、一度集会に一緒に行く約束をした。それが今日だったんだけどね。

 

あなたあの集会に行ったのね。大変な騒ぎでご近所でもその話ばかり。

 

モスクの前の広場はえらい人で、皆、拳を突き上げて、口々に何かを叫んだ。子供まで居た。凄かった。えらい剣幕だった。アメリカ兵が皆を押さえ込もうとしたけれども、皆言う事なんか聞きはしなかった。雄たけびを上げながら制止を無視するように前へ進んだものさ。アッジも叫んでいた。僕は何だか場違いな気がしたけれども気がついたら一応皆と同じ様に叫んでいた。“アメリカは帰れ!”なんて上品な言い方じゃなかった。僕は内心コレはヤバいナァと思ったもんさ。この辺の事は今夜のアルジャジーラで見られるだろう。

いきなり遠くでM−16が鳴った。パパッ、パパッと2回鳴ってその次にパパパッと連続音が聞こえた。その前にカラシニコフの音が聞えていたのかも知れない。でもその時はいきなり撃たれたように思った。その音は皆の声の中でまるで他人事の様に聞こえたよ。何だか全く現実感が無かった。でも他人事じゃなかった。僕の左腕は掠めた弾で血が流れていたし、隣に居たアッジは胸に一発打ち込まれてもん取り打ってその場に倒れこんだ。僕は奴の上にかがみこんだ。奴は何かを言ったけれども僕には解らなかった。そして死んだ。

 

あぁ、何て事なの。

 

僕はもう動かないアッジを置いて逃げるようにその場を去った。彼を連れて行ってやれなかった。銃撃は初めより激しさを増し、いつ撃たれるかも知れなかった。皆もさっきとは反対の方向へ、蜘蛛の子を散らすように逃げていたよ。だから、アッジの死体は未だあそこにあると思う。

アッジの家族に知らせてやらなくちゃ。明日街が落ち着いたら行って来るよ。

でもシェーラザード信じてくれ。僕は集会に行く気なんて無かったんだ。いや、それよりも僕が集会に行かなければアッジは死ななくて済んだのかも知れない。僕が居なければアッジはデモのあの場所に居なかったろうからね。奴の身体が半分右か左に、ずれていれば何でもなかったんだ。少なくとも死んじゃーいないと思う。それにこのシャツだって血だらけにしなくて済んだのに。

 

あぁ、あなた。シャツの事はいいって言ってるでしょう。それとアッジの事で自分を責めるのは止めて。アッジには悪いけれど、あなたがこうしていてくれて嬉しい。本当に痛くないのね。大丈夫だったのね。

 

 僕の傷は本当にかすり傷だけだった。妻は僕の無事を喜んでくれた。それは意外なくらいに。多分明日の井戸端会議では・・・それは文字通り井戸端会議なのだ。・・・僕は民族の自決のため名誉の深手を負った事になっているだろう。

 

“うちの人ったら、それはもうひどい怪我で、痛みをこらえるあの人の声で私も一晩中眠れなかったわ。でも亡くなった友達のためにあの人痛みをこらえて、今朝出かけたの。” 

 

やれやれ

 

 

 

その日、僕は電話局に居た。アッジが分厚い書類を抱えてやって来た。

 

ムスタフ、新しい仕様書だ。ホイッ!どこかの金が余ってる国が、交換機をくれるんだってさ。その取り換え工事の仕様書だ。目を通しときな。この前イギリスから貰ったらしい交換機は火花が飛んでるからな。換え時と言えば換え時かな。トゥルル・バチバチバチ。有り難い話だよ。

 

アッジ、この交換機は確かに換え時だ。それにこの前貰ったってお前は言うけど、第2次大戦の前らしいじゃないか。僕等の知らない話だよ。それにしても機械ってのは持つもんだな。この交換機が無くなったら僕等の接点磨きの仕事が無くなって、首になっちゃうんじゃないか。

 

そうかも知れないな。でも交換機が替わってもそれなりにやる事は有るだろうサ。それに交換工事の間は少なくとも首にはなるまい。こうして仕様書を渡してるくらいだからな。すべては神の思し召しサ。

 

神の思し召しね。フン。僕のせりふみたいだなぁ。アッジ。

 

俺だって神の思し召しくらい解るんだよ、ムスタフ。

 

そうか。ところでこの工事・・・うちの連中だけでは出来ないよな。誰か来るんだろうか?

 

すべては神の思し召しと言いたい所だが、それはな、ムスタフ、なんか東洋人の技術者連中が来るらしいぜ。喧嘩しない様にしろよ。

 

それはこちらのセリフだ。アッジ!

解った。新しい交換機楽しみにしてるよ。ところで何時からなんだい、工事は?

 

来月らしいぜ。そろそろ昼飯にしようや。ムスタフ。神のお怒りに触れるぞ。毎日をきちんと過ごさなきゃーナ。

 

それはそうとこの交換機、電源はどうするんだろう。戦前のしかもイギリス製の交換機の電源なんて使えないだろう。

 

昼飯にしようって言ってるだろう、この技術者め。日本人見たいだなぁ、知らないけど。

仕様書を見てみなよ。そんな事俺が知る訳無いだろう。

 

アッ、あった、あった。すごい電源だ。この電話局3っつくらい動かせるよ。すごいナァ。それがこんなに小さいんだ。見てみなよ。今の変電機より小さいぜ。ホントかネェ。

 

だから言ったろう。大丈夫だって。それより昼飯昼飯。

 

 

しかしその交換機には結局お目にかかれなかった。2週間後に僕等の電話局は空爆されたのだ。跡形も無くなる位に・・・。僕等は失業した。予想とは違った理由で。

 

 

 その後アッジに会うことは無かった。僕は家族を食べさせるための日雇い仕事を余儀なくされた。セメントを練ったり、日干し煉瓦を運んだり、どこかの空爆を受けた施設を片付けたり、それはたまに民家の事もあった、そんな毎日だったのだ。奴もそうだったに違いない。日増しに道端にはその日の仕事にアブレた人々や、親を無くしたのかも知れない子供達、怪我をして手足が不自由になった働けない人達が増えて来た。老人や子供の目は間違いなく以前より虚ろになって来ていた。

 そんなある日僕は偶然街でアッジを見かけた。

 

やー、アッジ。元気にしてるかい。

 

オッ、ムスタフ。久しぶりだナァ。例の空爆で失業して以来だナァ。何してんだ。元気か?

良かったらお茶でも飲まないか。俺は今日は仕事が無くて暇なんだ。

 

アッジ、実は僕も今日は仕事にアブレちゃって何もする事が無いんだ。

久々にそこらで話でもしよう。奥さんや子供達は元気にしているのかい?

 

ア〜、何とかね。羊の肉もめったに食わせられないけどな。お前ンとこの家族は?

 

おんなじだよ。家族は何とか元気にしているけどね。まだ僕等は若いから何とか仕事が途切れ途切れでも続いているけど、年行った人には仕事が無くなって来たな。ひどいナァ。

 

電話局時代が懐かしいってか。

 

そうだナァ。これよりマシだったよな。

 

神の思し召しって言わないのか?お前何時も言ってたけど。・・・俺は何だか腹が立ってきた。どうして俺たちがこんな目に遭わなきゃならないんだ、エー。

 

僕に怒らないでくれよ、アッジ。

 

いいか、ムスタフ。奴らの爆弾は音もたてずに、あの街外れの山の向こうから飛んでくる。そうしていろんな物を壊して行った。ドッカーン! 中には普通の人達の家もあった。腹のでかいカーちゃんだって居たろう。子供達だって・・・。皆理由も告げられずに死んでいったんだ。怪我人はもっと多い。アルジャジーラによるとアメリカは軍事施設だけ爆撃していると言ってるらしい。ぬかせ。だったら一人でも普通の人の血が流れたら、奴等の言ってる事は嘘になる。ナァ、ムスタフ、そうは思わないか。そして実際たくさんの普通の人達が死んだんだ。うちでもバクダッドの親戚が爆撃で死んだ。

その後アメリカは俺達の街に来て、毎日我が物顔で走り回っている。ホラッ、あそこにも来た。

こんな事毎日平気でいられるか。第一俺達でさえ仕事を失くしちまったじゃないか。生活は食うや食わずだ。アメリカでは食い物が溢れてしょうがないらしいぜ。

俺はこんな事許せない。神の思し召しであろうがなんであろうがだ。

 

解ったよ、アッジ。君は怒ってるんだ。でも僕だって怒ってるさ。ただどうしてこんな事になったか解らないだけだ。

 

どうしてかって?あのナァ、ムスタフ。そんな事はどうでもいいんだよ。お前は今日仕事が無いんだ。と言う事は、早速お前のカーちゃんは今夜の食事の支度の遣り繰りをしなくちゃならないんだ。そういう事なんだよ。電話局時代にそういう心配した事があったか?エー。それに・・・、誰の許しを得て俺達の頭の上に爆弾ばらまいたんだ。あいつ等は?

死んだ奴らは浮かばれない。残った俺達も浮かばれない。だから俺はあそこのM−16を肩にかけて歩いている奴らを許す事が出来ねー。

 

アッジ・・・。

 

この話に僕は絶句した。激しい、しかし当然といえば当然のアッジの気持ちが痛いほど良く解ったからだ。でも僕はこの話に僕の中でうまく結論を出す事が出来ない。結局僕等はその後お互いの家族の事やら仕事の事を他愛も無く話し別れた。次の週にモスクの前の広場で集会があるので一緒に行こうと約束して。

 

 

集会のその翌朝、詰まり今朝だ、僕はアッジの家族に会いに行った。

途中、モスクの前の広場に寄ってみた。アッジがどうなっているか知りたかったし、何よりも出来れば彼を引き取る段取りを付けたかったからだ。広場はアメリカ軍による片付けが始まっていた。そのため封鎖されていて近づく事も出来なかった。僕は遠くにアッジが転がっているのを見た。彼のそばに寄ろうと駆け出したその時、アメリカの若い兵士が走って来て持っていたM-16の銃床で僕を突き飛ばし、そしてその銃口を向けて何か言った。尻餅をついた僕の見ている目の前でアッジは、アレだけ嫌いだったアメリカ兵に手足を持たれ、一二の三と振り回されトラックの荷台に放り込まれた。まるで天地無用の荷物みたいに。その間若い兵士の銃口は僕に向けられたままだった。身動き一つ出来なかった。僕はその兵士を意味も無く憎んだ。

 

アッジの家では彼の奥さんが、言葉無く出迎えてくれた。どうやら彼の死は伝えられている様だ。あるいは昨夜帰らなかったので凡その察しはついているのかも知れない。

僕は昨日彼と一緒だった事、僕のすぐ隣で彼が撃たれた事などを伝えた。

 

アッジは何かあなたに言いましたか?

 

あなたを愛していると。そして子供たちを頼むと・・・それだけを。

 

そんな言い古された嘘を言うのが精一杯だった。僕はいたたまれない思いでその家を後にした。家族の泣き声が僕を送った。

 

 

アッジ、君は一体どこへ行ったのか?死はそんなにも僕等に身近だったんだ。

遅い午前中の街の空は美しく晴れ渡り街路樹の若い葉をさやさやと鳴らして風が通り抜けた。光は透明で僕の足音がコツコツと石畳の上を流れていった。一瞬風が光り僕の脳裏に街外れの茶色の荒地と遠くの山々が浮かんだ。それは音のない、青と茶色だけの世界だった。その中でアッジは微笑んで佇んでいた。あの日焼けした顔に何時もの口髭を生やして。

“俺だって神の思し召しくらい解るんだよ、ムスタフ。”

 

 

アッジはアラブの土に帰ったんだ。


場外乱闘
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